kyun②⤴の進路。

将来、やりたいことができました。
(やりたいことが増えたとも言えるし、戻ってきたとも言えます。)


今、どこまでこのblogに書くかな、と悩んで、

「記録しておきたいな」の気持ちと、
「わざわざ公開しなくても良くない?」の気持ちと、
「有言実行やろ!」の気持ちが戦っていたのですが、

これまでを振り返ると、やりたいことを言っちゃったときの方が、なんだか叶ってきたような感じがするので、
今まとまってる部分は書いちゃいます。


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そもそも、鍼灸学校に通うことになった大きなきっかけのひとつに、鍼灸師をしている友人の存在があります。

(前回の投稿にも出てきた鍼灸師のBちゃんです。)


田舎の高校生だった頃のとんでもないギャルだったわたしたちの集団を、ふんわりと包んでまとめてくれていたBちゃん。

大学もおんなじ関西圏内で、社会人になって地元に戻ってからもしょっちゅう遊んでいて、
一緒に海辺でバーベキューをしたり、スイカを割ったり、さんまを焼いたりしていた、
Bちゃんが視覚障害者になったのは20代半ばのこと。


車の運転が好きだったBちゃんに「車を出してほしい」と言われ、
わたしが運転する車の中で「目の病気になって、免許も返納した」という話を聞いたのだ。
わたしは仕事柄、病気とか障害の話は慣れてるくせに、多分あまり良いリアクションを取れず、とぼけた返事をしたような気がする。


でも、わたしがその話を聞いたとき、
Bちゃんはすでに泣いたり嘆いたりする段階ではなくて、
前向きに将来のことを考えていたことは確か。


そして、盲学校に入学してはりきゅうあんまの資格を取得したBちゃん。

(現在では視覚特別支援学校に改名されているところが多いですが、
わたし自身さまざまな考えの歴史があり、
また、Bちゃんが母校を「盲学校、盲学校」と呼んでいるその響きに親しみを感じたので、
あえて「盲学校」と呼ばせていただきます)


わたしが「あん摩マッサージ指圧師の資格ほしいなあ」と言っていたときに、
「東洋医学が好きなら鍼灸学校であん摩も取れるところに行くとより深く学べるよ」と教えてくれたのも彼女でした。

もちろん、わたしがはじめて受けた鍼も、Bちゃんの鍼

そんなわけで、わたしが鍼灸との出会いを話すとき、Bちゃんの話はマストなのです。


鍼灸業界の先輩後輩としてより親しくなったわたしたち。
学校での疑問や、相談なども彼女にするようになりました。


そして、
実技へっぽこなわたしから、当然湧いてくる疑問。

「目が見えてても難しいのに、目が見えんひとはどうやってやりよん???」

こんな質問を直球でしても、真摯に返してくれる彼女です。(信頼関係の上でのやり取りです)


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そんな中で、ある日、突然ひらめいてしまいました。
そして、ひらめいた瞬間にしっくりときてしまいました。


わたし、盲学校の先生になりたいです。

まだ専門学校1年生のくせに(座学も実技もままならんくせに)…という感じですが、
卒業後は理療科(盲学校の鍼灸科)教員課程に行くことを目指したいなと思っています。


これまでは、治療家として誰かを支えていきたいな、と思っていて、
治療家の裏方っぽさに魅力を感じていたけれど、
なんだかわたしは、それよりさらに裏方、さらにベースの部分に関心があるみたい。

やっぱり、福祉的なことがすきなのかな??
より少数派だったり、支援を得にくい方に対して、自分ができることをしたい。
最低限のラインを必要十分に整えることや、安心安全を整えることに興味が湧く。


(ツイッターでもnoteでも何度も言ってるけど、別にわたし、やさしくないです。
ただ、興味と好奇心でワクワクする方に動いているだけ。)


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目指したい理由は大きく3つ。


①学生への支援をしたい。

正直、わたしは現時点で、実技へっぽこです。


ただ、わたしは福祉の仕事をしてるときに、それぞれの目標に合わせた課題のグッズとかを考えるのがすきで。
それで、なんか、たとえば線香とか扱うのが難しいなら、扱いやすくなるような自助具とかコツとかを考えることができたら楽しいなあと思ったり。

なんだか、今、自分自身が実技へっぽこであることが逆にアドバンテージになるんじゃないか、なんて思う。
そう考えると、今、できなくて「ムキーーーーーーーッ!!!」となってる時間すら楽しくなってくる。愛おしくなってくる。


あと、教員を目指すには年齢が遅いのかもしれないけど、逆に、わたしが社会経験をしているからこそ教えられるようなことがあるかもしれない。
学生が実力を存分に発揮できるよう、いろんな角度からの発想で生活のための知恵なんかをお伝えできるかもしれない。



②教員への支援をしたい。

あと、勝手な想像&余計なお世話なのですが、
もしかしたら、視覚障害を持っている教員自身が、教えにくさを感じている場面もあるのかなと想像しています。

教員への支援…というと大袈裟なのですが、
教えやすくなるように環境を整えるような工夫も考えていけたらいいなと思っています。


わたしだから気づくこと、わたしだからできることがあるのかもしれないなって、うぬぼれかもしれないけど、勝手にそう思って、
それぞれの学生や教員が、皆さん自分の実力や良さを発揮していけるよう、お手伝いできたら嬉しいんです。

それってめちゃくちゃこれまでの自分の経歴を活かせるし、燃える。



③視覚に頼らずに自分を表現することへの興味

これは本当に、自分の好奇心の中でも趣味や性癖に近い部分だし、
あまり言うべきでないことかもしれないけど、この際だから言っちゃう。


わたしはこれまで結構、視覚的イメージに頼ってきたと思う。


ファッションやお化粧で自分のビジュアルを表現することも好きだし、
イラストを描くこともすき。デザインすることもすき。
本やCDの装丁を眺めることもすき。
字を書くときの色や書体にこだわってみたりするのもすきだ。
今こうしてパソコンで文を書きながらも、

ひらがなやカタカナ、漢字のバランス、句読点の位置、改行……自分が美しいと思うかたちを表現している。


美しく、わかりやすく、くすっと笑えるものがすき。
自分自身もそうありたい。


これまで、「視覚的」に得をしたこともあれば損をしたこともあると思う。

たとえば「しっかりしてそう」とか「賢そう」とか「優しそう」と思われて、
円滑に仕事が進むこともあったし、
そのイメージが邪魔になったり、誰かをがっかりさせてしまうこともあった。


視覚的イメージの影響を受けない世界なんて、なかなかないと思う。
でも盲学校だったら…?

って考えたときに、
「視覚に頼らずに自分を表現することへの興味」が湧いた。


いったいわたしはどんな風に振る舞うのだろうか、

どのように仕事をするのだろうか、

どんな評価を得るのだろうか。

自分の思う「自分らしい美しさ」、「穏やかなひょうきんさ」を表現してみたい。
それを考えていたらとてもワクワクしてきたのです。


しょうもないことかしら。
でも、なんだかわたしにとってはすごく本質だし、すごくチャレンジ。

そんな気がする。


(その他、ちょこっとネガティブな理由というか、
将来について自分にとって不安材料であったことが解消された、というのもあるのですが、
まあこれは詳しく言うことでもないので、言わんときます。)


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さてさて、
口でいうだけはタダなんで、好き勝手に夢物語を語らせてもらいました。


着実に進級して、卒業試験、国家試験、大学の入試……。
めちゃくちゃ狭き門だろうし、
晴眼者への門はより狭いらしいからどうなるか分からないけど、
(そして、言うてもまだ1年生なので、これからまたやりたいことが増えたり順番が変わったりすることもあるかもしれないけど)

今はこの夢の妄想でかなりワクワクしてて、ちょっとやる気になっているんです。

正直、国試は6割解ければいいと思って、ちょっとサボる気持ちもあったのですが、
教員になりたい!と思ったら10割を目指さざるを得ない理由ができてしもうたからね。


実技も「できない過程をていねいに味わいながら」と思ったら、少し心に余裕ができた。

「一生無理」って思ってた鍼の「送り込み」も、気がついたらできるようになっていたし、今できていないこともくさらずにやり続けたら必ずできると自分を信じてるから。
他の人より全体的にスローペースなのは、たぶん、一生そうなんだと思う。
だから、やり続けるしかないね。


今、逃げず泣かずあわてずくさらず、落ち着いて練習できています。


(また逃げたり泣いたりあわてたりくさったりする日もあるかもしれません、
だけど、わたしはちゃんと戻ってこれるので、大丈夫です。)

はりきゅうディスコティック!

はりきゅうあんま、一生続くschool days.

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